大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和51年(刑わ)2631号 判決 1978年5月16日

主文

被告人は無罪。

理由

(公訴事実および罰条)

本件公訴事実は、

「被告人は、昭和五一年五月二三日午後四時二五分ころ、東京都千代田区丸の内一丁目八番二号先路上において、労働者、学生らの集団示威運動に伴う違法行為を制止、検挙する任務に従事中の警視庁第七機動隊勤務警視庁警部補大脇和喜夫に対し、右足でその左大腿部を一回足蹴にする暴行を加え、もって同警察官の右職務の執行を妨害したものである。」

というものであり、右行為が刑法九五条一項に該当するというのである。

(公訴事実に対する当裁判所の判断)

当公判廷で取調べた各証拠、就中、被告人の当公判廷における供述、証人若林芳夫、同西岡智、同森田正実、同岡田行雄及び同吉田勉の当公判廷における各供述(以下、証言あるいは供述とあるのは当該証人または被告人の当公判廷における供述である。)ならびに東京都公安委員会作成の集会、集団示威運動許可書(謄本)によると、昭和五一年五月二三日午後一時三〇分ころから、東京都千代田区内の日比谷公園野外音楽堂において、部落解放同盟中央本部主催による「石川一雄氏不当逮捕十三周年糾弾、狭山完全勝利」をスローガンとする中央集会が開かれたが、同集会参加者は同日午後三時三〇分ころから右会場を出発し、内幸町―数寄屋橋―鍛治橋―東京駅八重洲口前を通り、呉服橋を経て常盤橋公園に至る集団示威行進を行ったこと、右集団示威行進の参加団体は部落解放同盟及びその支持団体ならびに東京地評傘下組合などで主催者発表によると参加人員は約一万五、〇〇〇名であったこと、右の集会及び集団示威行進は東京都公安委員会の許可を受けたものであったが、右の許可には、集団示威運動に際し、その行進隊形を五列縦隊とし、だ行進、うずまき行進、ことさらなかけ足行進など交通秩序をみだす行為をしないことなどの条件が付されていたこと、被告人は東京都交通局に車掌として勤務していたが、いわゆる狭山事件について同事件の被告人石川一雄は無実であり、同被告人を有罪とする裁判は許されないとの信念のもとに荒川区民の一人として前記集団示威行進の参加団体の一つである「同対審」狭山荒川区民共闘会議の梯団に参加し、前記行進順路に従い集会会場から数寄屋橋交差点手前付近までは約二〇名の集団の一員として四列縦隊の最前列右側第二列目に位置して行進していたが、数寄屋橋交差点手前付近で、ハンドマイクを用いてシュプレヒコールをしていた岡田行雄と交替し、以後同梯団の先頭部列外の概ね右側を歩きながら、ハンドマイクで「部落」「石川」とコールすれば、梯団員において「解放」「奪還」と呼応するなどのいわゆるシュプレヒコールをしつつ、時には道路中央線付近に及ぶだ行進を繰返すなどして東京駅八重洲北口前付近に到達したところ、同梯団は、偶々、同所付近で違法な集団示威運動の規制と交通確保の任に当っていた警視庁第七機動隊第一中隊第一小隊(小隊長大脇和喜夫警部補)の規制を受け、同小隊から併進規制されながら同日午後四時二二分過ぎころ同北口の北方に位置する国際観光会館(東京都千代田区丸の内一丁目八番三号所在)前付近に至ったことがそれぞれ認められる。

以上の認定事実については、被告人、弁護人ともに争わないところであるが、右の経緯ののち、検察官は本件公訴事実記載の日時、場所において同記載のような被告人の暴行があった旨主張し、被告人、弁護人はこれを否認しているものである。

従って、本件における争点は、被告人が前記大脇和喜夫(以下、単に大脇という。)に対して公訴事実記載のような暴行を加えたか否かの一点に尽きるわけであるが、被害者である大脇は勿論、他の検察官申請の各証人(いずれも警察官)は一様にこれを現認目撃した旨供述するのに対し、弁護人申請の各証人(いずれも前記デモの参加者)はこれを否定しているので、右各証人の供述の信憑性を可能な限り客観的証拠と矛盾することなく、前後の状況等をも考慮に入れて慎重に判断しなければならない。それ故、以下各証言の信憑性について検討を加えることとする。

一、まず、暴行を受けたとする大脇の供述の要旨は次のとおりである。

大脇は、前記のとおり、本件当日デモの規制にあたっていたが、数寄屋橋方面からだ行進してくるデモ梯団を東京駅南側の鍛治橋交差点付近から東京駅八重洲北口方面に四回わたって併進規制していたところ、同日午後四時二〇分ころ八重洲北口付近で反対側の車道に届くほどのジグザグ行進をしている三〇名ほどのデモ隊、すなわち被告人所属の前記梯団を発見し、第七機動隊の青木隊長の命を受けて同梯団の規制に当ったが、同梯団の先頭部の前方概ね左側には被告人が位置し、右手を振って梯団の進路の指示や左手に持ったハンドマイクでシュプレヒコールを行いながら、前記北口付近から同区丸の内一丁目八番二号所在の第一鉄鋼ビル玄関入口前付近路上に至る間に、道路中央線に達するまでのだ行進を二回繰返したため、同人は、その間、デモ指揮のリーダ格と思われた被告人に対して「ジグザグ行進はするな。いつまでもそういう行進をしていると公安条例違反で検挙する。道路の左端に沿った正しい行進に移れ。」と約二〇回ぐらい警告した。その間青木隊長も第二鉄鋼ビル前のタクシー乗場付近において同趣旨の警告を発していたが、被告人はその警告を無視するのみならず、却って反発してデモ先頭部を道路中央の方へ向かわせるように右手を上げて方向を指示して梯団を道路中央線に達するだ行進をさせた。しかしながら、結局、大脇らは前記第一鉄鋼ビル入口付近前路上で被告人の所属するデモ梯団をようやく歩道際まで規制したところ、被告人は又もや右手を道路中央の方へ向けてデモ先頭部に道路中央へ行けというような動作をしたので、同所は呉服橋交差点も近かったことからどうしても左側を行進させなければならないと考え、被告人に一歩近付いて「デモの頭を歩道の方へ向けさせろ。」と大きな声で言ったところ、被告人は右足の靴の爪先で一歩ぐらい前方にいた大脇の左大腿部前面付近(膝上約一〇センチメートル付近)をぽーんと蹴り、同人が思わず「痛い。何をするんだ。この男を捕えろ。」と叫ぶより早くガードレールを飛び越えてデモの順行方向の左斜め後方に略々一直線に逃げたが、被告人が大脇を蹴ったのは前記第一鉄鋼ビル入口の向って右端(以下左右の呼称はビル入口に対面したときの呼称を用いる。)前路上であり、被告人が警察官に取り押さえられたのは同入口の左端付近であった。大脇は前記のように被告人から蹴られた瞬間ちかっとする痛みを感じたが、同日警備終了後の午後八時三〇分ころ調布市上石原にある第七機動隊の中隊幹部室に戻ってから患部を見たところ、一〇ないし一五センチメートル四方ぐらいの発赤があり黒ずんで痛みも残っていたことから、三日ぐらいの間湿布薬を塗布して自家治療したところ、痛みは一週間ぐらいでとれた。しかし、同人は機動隊員にとってこの程度の怪我は、部隊活動に伴うものであるとして病院で治療を受けたり診断書の作成を求めることはしなかった。(以下これを大脇証言という。)

二、また、第七機動隊第一中隊第一小隊が前記デモ規制にあたっていた際、被告人の大脇に対する暴行を目撃したとする同小隊第二分隊員である矢ケ崎八千代巡査及び同小隊第一分隊長である目黒友春巡査部長の各供述の要旨は概ね前記の大脇証言と同旨であるが、被告人の暴行の状況について、大脇が二回ぐらい被告人に対して警告し、被告人はそれに対して何度か反発したのち、右足を前に上げてその爪先で大脇の左大腿部付近を蹴とばすのを現認したというものである。(以下、これをそれぞれ矢ケ崎証言、目黒証言という。)もっとも証人矢ケ崎八千代は、主尋問においては被告人が大脇に暴行を加えたのは五十嵐一敏作成の写真撮影報告書添付写真No.24(以下、これを「五十嵐写真24」といい、他の写真もこれに準じて略称する。)に撮影されている状況の直後である旨供述しながら、反対尋問において右供述を訂正し、「五十嵐写真24」は第二鉄鋼ビル前のタクシー乗場付近におけるデモ行進の状況であって、被告人が大脇に暴行を加えたのはそれから約二〇〇メートル(この点ものちになって七〇ないし八〇メートルと訂正)前方の第一鉄鋼ビル入口前車道上である旨供述している点は、同証人が記憶に基づいて供述しているかどうかを判断するにあたって注意しておかなければならない点と思われる。又、同じく第一小隊第二分隊員藤森芳巡査は、被告人の右足の先が大脇に当ったかどうかは矢ケ崎巡査の陰になって見えなかったとしながらも、大脇が近付くと同時に、被告人が右足を大きく大腿部が水平になる位まであげ、その直後大脇が「この男を捕えろ」と言ったので、蹴ったと思った旨供述しているものであるが、同人は「五十嵐写真24」が右犯行の直前の状況であり「五十嵐写真25」と同一場所附近の車道上である旨述べるものであって、同人の供述も前記矢ケ崎証言、目黒証言と同様、記憶に基づく供述かどうか疑問がある。)

三、以上の各供述によれば、被告人が大脇に対し公訴事実記載のような暴行を加えたものであることは一見明白であるかのようであるが、しかし、これらの各供述証拠を他の証拠と仔細に比較検討してみると、その信憑性についていくつかの疑念をさしはさまざるを得ない。以下、この点について詳論する。

1  まず、大脇証言、藤森証言、矢ケ崎証言及び目黒証言によれば、被告人所属の梯団は「八重洲北口付近から第一鉄鋼ビル入口前付近路上に至る間に、道路中央線に達するまでのだ行進を二回繰返した」というのであるが、本件当日違法行為の採証活動の一環として写真撮影を担当していた証人五十嵐一敏の供述によれば、右五十嵐は同日午後四時二二分ころ東京駅八重洲中央口付近でデモに対する警察官の規制の状況を撮影(「五十嵐写真23」)したのち一旦呉服橋方面に行ったが、同日午後四時二四分ころ再び第二鉄鋼ビル前路上タクシー乗場付近に戻って来たところ、第七機動隊長青木徳雄から被告人らの梯団のデモ状況の写真撮影を命ぜられ、同所付近において撮影したのが「五十嵐写真24」であり、その次に撮影したのが第一鉄鋼ビル入口前付近の被告人に対する逮捕活動の状況(「五十嵐写真25」)であったというのである。

しかし、前記大脇らの証言にあるように、もし、被告人らの梯団が、東京駅八重洲北口付近路上から第一鉄鋼ビル入口前付近路上までの間に道路中央線に達するまでのだ行進を二回繰返したというのであれば、違法な集団示威運動を含む違法行為の採証のため、わざわざ第七機動隊所属の写真担当の公務に従事していた五十嵐が、しかも青木隊長に違法状況の撮影を命ぜられていながら、(青木証言によれば、被告人らの梯団がセンターライン附近までだ行進していたときに撮影を命じたというのである。)たとえ適当な撮影位置を求めて先行したとは言え、その後二回に亘ってだ行進が行われたとする状況を写真撮影しないはずがないにも拘らず、その間の写真はわずかにデモ梯団が左側第一車線に規制された状況を撮影した「五十嵐写真24」があるだけであって、この一事をもって直ちに何らの違法な示威運動がなされなかったと断定するのは早計に過ぎるとしても、少なくとも大脇証言などにみられるようなだ行進が繰返しなされたものと断定するには少なからず躊躇せざるを得ない。なるほど、「五十嵐写真24」に撮影された状況からすると、被告人所属のデモ梯団が決して平穏な示威行進をしていたものとは到底窺われず、青木隊長をはじめとする第七機動隊員によって圧縮規制を受け、これに対して被告人らが反発している状況が看取される(この詳細については後述するとおり)ところであるが、しかし、かかる状況とても被告人らのデモ梯団は左側第一車線内にあり、第二車線にはデモ梯団を規制することなくこれと一定距離を保って歩行している警察官の状況も見受けられることからすると、この点に関し、同写真に撮影された状況をもって大脇らの証言を否定こそすれ、裏付けるものとすることはできない。

また、証人五十嵐一敏は、「あなたは24の写真を撮った時には、青木さんから指示されるまでは撮ろうとは思わなかったわけですか。」という質問に対して「ありません。」と答え、また、「五十嵐写真24」を撮ったのち呉服橋方面に行ったのは「警備部隊に突き当る違法行為をより一層明らかにするための撮影場所を選ぶため」である旨供述しているけれども、もし、デモ梯団が警備部隊を突き破り、あるいは押しのけて道路中央線に達するまでのだ行進を二回も繰返したとすれば、かかる状況を五十嵐が撮影しなかったというのはいかにも不自然というほかない。

以上の説明からも明らかなように、被告人らの梯団が道路中央線に達するまでのだ行進を二回繰返した旨の大脇らの証言にはかなりの誇張が含まれているものといわざるを得ないばかりでなく、このことは後述するように、被告人の「暴行」の動機とも密接に関連する点であることに注目しておく必要がある。

次に、大脇証言によると、「大脇は梯団先頭部前方の概ね左側に位置していた被告人に対して約二〇回ぐらい前記のような警告を発し、その間隊長の青木も第二鉄鋼ビル前のタクシー乗場付近で同趣旨の警告をしたが、被告人はその警告を無視するのみならず、却って反発してデモ先頭部を道路中央の方へ向かわせるように右手を上げて方向を指示し、梯団を道路中央線に達するだ行進をさせた」というのであるが、第七機動隊長であった青木徳雄の供述によれば、同日午後四時二〇分ころ東京駅八重洲北口付近で「部落解放」「石川奪還」のシュプレヒコールをしながらセンターラインをオーバーしてジグザグの示威行進をしていた梯団を目撃した青木は、デモ先頭部右側に位置しハンドマイクでシュプレヒコールを唱導していた被告人をデモの指揮煽動者であると断じ、大脇小隊長に右梯団の規制にあたらせるとともに自らも被告人に対して「こういうジグザグデモはやめなさい。マイクであおるのもやめなさい。デモ隊を左に寄せなさい。」と警告したが一向に改まらなかったため、手に持っていた指揮棒を被告人に突きつけながら次第に声を荒らげ「どうして君は警告を無視するんだ。やめろと言ったらやめろ。」などと語気を強めて警告したため、被告人は前記タクシー乗場にさしかかる直前ころ青木から離れてデモ先頭部左側にかわった(「五十嵐写真24」はその直後の写真である。)が、これに対してデモ隊は「機動隊帰れ」「不当弾圧」などと叫び、依然として被告人もマイクでジグザグ行進をするように煽ることをやめなかったため、右青木は更に被告人の方へ近づき、その鼻面へ指揮棒を突きつけるようにして、「おい君、君のやっているのは公安条例違反になるんだ。いつまでもきかないと逮捕するぞ。」と厳しい口調で警告し、険しい表情で睨みつけた直後本件暴行が起ったというのである。

右証言中、前記梯団が八重洲北口を経過後も道路中央線に達するだ行進をしたとの点についてにわかにこれが措信できないことは前説示のとおりであるが、被告人が当初デモ先頭部右側に位置していたところ、青木隊長の警告があまりにも厳しかったため、何かあると直感した被告人がタクシー乗場にさしかかる直前のころ右青木を避けて反対側(左側)に移ったとする点は被告人自身認めているところであって、青木証言はこの点において被告人の供述と一致し信憑性があるばかりでなく、第七機動隊の隊長として自ら被告人らの梯団の規制に乗り出し、しかもデモの指揮煽動者と認めた被告人に対して指揮棒を鼻面に突きつけてまで警告を発していた状況からすると、被告人に対する警告は主として青木隊長がなしていたとみるのが自然であり、大脇が約二〇回ぐらい警告を発し青木隊長はタクシー乗場付近で同旨の警告をするのみであったとして、あたかも警告の主役が大脇であるかのような大脇証言及びこれに追従する藤森、矢ケ崎、目黒証言は、被告人及び青木の前記供述と対比するとたやすく信用できない。現に「五十嵐写真24」に撮影されているタクシー乗場付近の状況も被告人が右手を突き出し青木隊長を指差しながら反発もしくは抗議している状況の一こまと見るのが自然であり、大脇が被告人に対して警告していたがその内容は記憶していない旨の証人青木徳雄の供述や、大脇が何か言っていたのに気付いたことがある旨の証人森田正実の供述もまたこれを裏付けるものである。

もっとも、この点について証人目黒友春は、被告人が大脇の顔や耳元にハンドマイクを近付けてシュプレヒコールをしていた旨供述し、証人大脇和喜夫もこれに副う供述をしているけれども、大脇証人は他方で、被告人は大脇を無視した行動に出たことはあってもことさら同人に反発する態度をとったことはない旨の供述をしており、これらの供述からすると、主として大脇が被告人に警告していたとの前記大脇証言は、自己の警告をことさら誇張して供述しているとの疑いを差しはさまざるを得ない。

このように考えると、前記大脇証言は、ことさらに自己の被告人に対する警告を誇張するとともに、多分に「五十嵐写真24」の撮影された状況に影響されこれに引きずられて供述したのではないかとの疑念を拂拭することはできず、このことは被告人の「暴行」が警告を受けた当面の相手である青木隊長ではなく、その傍にいた大脇小隊長に対してなされたとする本件「暴行」の動機を考慮するうえで重要なことと考える。

3  更に、大脇らの証言によれば、「被告人が大脇を蹴ったのは第一鉄鋼ビル入口の右端前路上であり、被告人がそこからガードレールを飛び越えて略々一直線に逃げ、警察官に取り押さえられたのは同入口の左端付近であった。」という。すなわち、同証言によれば、被告人は大脇を蹴ったのちデモの順行方向とはむしろ逆の左斜め後方に逃走したことになる。(もっとも、被告人を現行犯逮捕した矢ヶ崎八千代及び藤森芳作成の現行犯人逮捕手続書の記載によれば、被告人らは右のビル入口を遙かに通り越して同ビル内三菱銀行前路上までデモ行進を続けたうえ、本件「暴行」をしたとなっている。)この点について被告人は、第一鉄鋼ビル南端近くの配電盤ボックス付近のガードレールを飛び越えて逃走し、途中追跡して来た警察官に腕などを掴まれたため歩道上に一旦座り込んだが、結局、第一鉄鋼ビル入口左側付近まで連れて行かれたと供述している。

被告人が第一鉄鋼ビル前のガードレールのいかなる地点を飛び越えて逃走したかということは、それ自体被告人の「暴行」の有無に直接結びつく問題ではないけれども、検察側証人が一様に同旨の供述をしていて、しかもそれが必らずしも客観的事実に符合しないとするならば、その供述全体の信憑性は疑われても止むを得ないといわなければならない。かかる意味において、被告人が逃走する際飛び越えたガードレールの地点及び逃走方向は重要な意義をもつものということができる。

そこで、まず、弁護人笠井治作成の逮捕現場付近写真及び五・二三狭山斗争統一弁護団遠藤直哉作成の写真撮影報告書を検討すると、第一鉄鋼ビル前面には略々全面にわたって車道と歩道との境に沿って鉄柵(以下、ガードレールと略称する。)が張りめぐらされ、わずかに正面玄関入口前と同入口から同ビル南端までの中間付近の車道寄りの所にあるバス停留所付近の二ヶ所はガードレールが切れているが、正面玄関入口前の切れ目部分はガードレールが開閉式となっていることが認められ、被告人の供述及び野坂熙作成の写真撮影報告書添付写真No.20(以下、これを「野坂写真20」といい、その他の写真もこれに準じて略称する。)に撮影されている前記第一鉄鋼ビル入口前の状況によれば、本件集団示威行進の行われた当日は日曜日であった関係上、終日右入口前のガードレールの切れ目部分は閉鎖されていたものと認めることができる。

ところで、大脇証言によれば、被告人が大脇を蹴ったのは第一鉄鋼ビル入口右端前路上であり、被告人はそこからガードレールを飛び越えて略々一直線に同入口左端付近まで逃げ、被告人を追跡した警察官もガードレールを飛び越えたというのであって、右証言のみならず、矢ヶ崎証言は勿論、証人藤森芳、同青木徳雄の各供述もまた多少の差異はともかくとして、一様に被告人及びこれを追跡した警察官は前記ビル入口前付近のガードレールを飛び越えた旨供述していることからすれば、被告人は大脇を蹴ったのち同証言のとおりの経路で逃走したものと認定することは不可能ではないように思われる。

しかしながら、目黒証人は弁護人作成の前記逮捕現場付近写真を示されながら、「あなたが追いかけた経路をこの写真で説明してください。」との質問に対し、この犯行が行われた場所から、私はそこを飛び越えないで、ガードレールの切れ目があるんですよ。その切れ目から行ったように覚えているんですね。」「覚えているのは、とにかく被告人はここをまたいでひっくり返りそうになったと。で、私は切れ目か何か、そこからおれは行ったように覚えているんだね。足、短いから、おれは。」と答えている。他の警察官証人が一様にガードレールを飛び越えて被告人を追跡したと証言しているなかで、しかも、第一鉄鋼ビルの前面にはガードレールがかなりの距離にわたって設置されていることを知っている同証人が、その切れ目を通って被告人を追跡したと供述していることは決して無視し得ないものと思われる。しかも同証人は被告人らの梯団を先頭部で規制していて被告人の逃走と同時に被告人の方へ走り寄って行ったというのであるから、同証人の供述はむしろ被告人が供述するとおり、被告人がガードレールを飛び越えて逃走したのは第一鉄鋼ビル入口前付近というよりは、それより東京駅寄りの歩道上に設置されている配電盤ボックス付近との認定を支持する有力な証拠となると思われる。しかもこのように認定することは、その後警察官に検挙されようとしている被告人を、あるいは旗竿で、あるいは素手で奪還しようとしているデモ参加者が、第一鉄鋼ビル入口左側付近で呉服橋交差点方面を向き、これに対し警察官が相対して東京駅方面を向いている状況を撮影した「野坂写真18」及び「同19」の各撮影された状況と矛盾なく説明できるように考えられる。

検察官はこの点について、証人野坂熙、同森田正実の各供述ならびに「野坂写真18」及び柴崎春俊作成の写真撮影報告書添付写真No.17(以下、前同様「柴崎写真17」という。)などから、被告人が逃走後事実上身柄拘束状態に入ったのは第一鉄鋼ビル入口左側のシャッター一枚を置いた一本目の柱付近であり、右各証拠に証人岡田行雄、同吉田勉及び被告人の各供述を併せ考えると、被告人がガードレールを飛び越えた地点は、被告人が事実上身柄を拘束された地点から左右に一〇メートルないし二〇メートルの範囲内のガードレール部分、すなわち、第一鉄鋼ビル前の前記配電盤ボックスから約五メートルくらい呉服橋寄りの地点から同ビル内三菱銀行入口前にあるポスト付近までの間である旨主張するけれども、証人岡田行雄、同吉田勉ならびに被告人の前記各供述で述べられている距離はそれが必らずしも二〇メートル以内と限定するものではなく極めて漠然としているものであるばかりでなく、被告人が供述している「一〇メートルか二〇メートルの地点」というのは「警察官に捕って歩道上に座り込んでしまった地点」を指すものであり、かつ、司法警察員作成の実況見分調書添付の現場見取図及び前記逮捕現場付近写真によれば、その正確な距離関係は必らずしも明らかではないが、同ビル入口最左端の柱から同ビル内交通公社の入口左端までの距離は約一七ないし一八メートルに過ぎず、前記各写真に撮影されている所謂被告人が事実上身柄拘束された場所が右の柱から更に数メートル左方であり、配電盤ボックスが前記交通公社の左端からこれまた一〇メートル余左方に設置されていることを考えると、被告人が飛び越えたガードレールは、厳密に、事実上身柄拘束された地点から二〇メートルの範囲内と断定することはできず、これを配電盤ボックス付近であるとしてもあながち不合理ということもできない。

してみれば、配電盤ボックス付近のガードレールを飛び越えて逃走したとする被告人の供述も一概にこれを否定し去ることもできず、むしろ第一鉄鋼ビル入口前のガードレールを飛び越えて逃走したとする大脇証言(目黒証言とてもこの点においては同様である。)をはじめ、検察官申請の各証人の供述が極めて酷似し、しかも前記のとおり、被告人を奪還しようとしているデモ参加者と、これを阻止しようとして相対している警察官の状況を撮影した前記「野坂写真18」「同19」及び「柴崎写真17」と客観的に齟齬しているだけに却って不自然であり、それ故にその信憑性を疑わざるを得ない。

4  また、大脇証言によると、被告人は右足の靴の爪先で一歩くらい前の方にいた大脇の左大腿部前面付近(膝上約一〇センチメートル付近)をぽーんと蹴ったこと、及び、その結果同日午後八時三〇分ころには一〇ないし一五センチメートル四方くらいの発赤があり、三日間くらい湿布薬を塗布する自家治療行為をしたところ、痛みが一週間くらいで取れたので特に診断書の作成も求めなかったというのであるが、被告人の供述ならびに検察官田邊嘉幸作成の現場写真検討結果報告添付写真第二、第五葉目によれば、本件集団示威運動当日被告人は爪先の丸くなっているゴム底のビニール製レインシューズを履いていたことが認められるところ、大脇証言にいうように、大脇が被告人から一歩くらいの間隔を置いて前記レインシューズで大腿部を蹴られたとしても、果して三日間も湿布薬の塗布を必要とし痛みが一週間も続くほどの傷害を受けるものか甚だ疑わしいといわなければならない。仮に大脇が右程度の傷害を受けたとすれば、専門医の診察治療を求め、公務執行妨害罪の証拠として診断書の作成交付を求めるのが捜査官としてのむしろ常識であるとさえいうことができよう。ことに大脇は警察官の経験が十数年というベテランで、本件当日第七機動隊の小隊長の任務についていたのであるから、いかに多数の目撃者がいたとしても、物的証拠の少い本件のような事案においては、暴行ないし傷害に関する客観的証拠が必要であるということは当然考慮されたはずである。同証言によれば、機動隊員にとってこの程度の怪我は部隊活動に伴うものであるから特に医師の受診や診断書の作成を求めなかったというのであるが、同証言にいう程度の傷害を伴う公務執行妨害罪で公訴提起される事案のあることは当裁判所に顕著な事実であり、右程度の傷害が発生したというのであれば、当の被害者である大脇のみならずその上司らもこれを知っていたものと推認されるにも拘らずこれが受診もせず診断書の作成さえ求めなかったということは、大脇のいうような傷害が果してあったか否か甚だ疑わしいというに止まらず、被告人の暴行そのものがあったかどうかすら疑わしめるものがあるということができる。

のみならず、被告人の「暴行」を目撃したとする証人矢ヶ崎八千代は、被告人が大脇に対して「暴行」する直前の反発の態様や姿勢、あるいは反発文言の内容については「覚えておりません。」「忘れました。」と供述するのみで一向に要領を得ないにも拘らず、その直後の「暴行」の事実について「右足の爪先あたりで、大脇小隊長の左足大腿部付近を蹴とばしたところまで現認しておりました。」と明確に供述している。こうした供述は証人目黒についても同様で、同証人は「被告人が右足で大脇小隊長の左足の膝の上の大腿部付近を蹴とばして逃げた。」と言い、これを目撃したのは「三メーターか三メーター半か」の距離があり、当ったのは「靴の裏の部分といいますか、爪先の部分といいますか、あのへんですね。」と述べている。また、犯行現場にいたという証人藤森芳も「被告人が右足を大きく上げたのは見えましたが、足の先が私の右斜め前にいた矢ヶ崎巡査の陰に隠れて大脇小隊長に当ったかどうかまでは見えませんでした。」と供述している。

しかしながら、前記認定のとおり、被告人に最も接近し、強行かつ執拗に被告人に対して警告し、従って最もよく被告人の挙動を観察していたと思われる証人青木徳雄は、その状況を「大脇小隊長が被告人の前に立ちはだかるようにして警告したところ、同小隊長ははっとしたように腰を後ろに引くというか、体をかわすような態度を示し、それと同時に同小隊長が被告人をつかまえようとして手をのばした。」と供述するにとどまり、しかも、被告人が大脇を蹴ったと判断したのは、「手は上がってませんから、手が上がらなければ足しかありませんので、足で蹴ったというように直感した。」として被告人の大脇に対する暴行を直接現認していないことを認めているにも拘らず、被告人が大脇に対して暴行したとされる際、被告人らの梯団のだ行進の規制に注意を奪われていたと思われる証人矢ヶ崎八千代、同目黒友春及び同藤森芳らが、いかにデモ先頭部に位置していたとはいえ、被告人の暴行の態様を仔細に観察し得たものとは到底考えられず、ことに矢ヶ崎証言が当初前記暴行のあったのは「五十嵐写真24」に写っている状況の直後であるとしながらのちにこれを訂正して犯行現場はこれより二〇〇メートル離れた地点であると訂正するなどその供述は動揺を重ねていることに端的にあらわれているように、これらの各証人の供述が弁護人側の立証が終了した段階で取調べられた青木の供述内容と多くの点で大きく喰い違い、また、被告人の犯行直前の大脇の言動について各証人間に喰い違いが認められるのに、被告人らの梯団のだ行進の状況、犯行直前の梯団の状況、被告人の行為、被告人の逃走経路、逃走位置等については、客観的な事実に反すると認められる部分についてまで、細部にわたって奇妙に一致しているだけに、却って「五十嵐写真24」「同25」に強く影響され、いわば「五十嵐写真24」「同25」に基いた供述としてあらわれているのではないかとの強い疑念を抱かざるを得ない。(なお、被告人に対する勾留状の被疑事実は、多数の者と共謀して、公訴事実記載の日時、場所において、大脇らに対し、竹竿で突く、殴る、足蹴にするなどの暴行を加えて公務の執行を妨害したというのであって、本件各証拠によると、被告人が歩道上に逃れてからの行為をもって公務執行妨害行為としているものと思われる。)

してみればこの点においても証人大脇和喜夫らの供述をもって被告人の暴行の事実を認定するに足る証拠とはなし得ないものといわなければならない。

四、以上検察側証人の供述内容について縷々説示して来たところから明らかであるように、その信憑性についてはいくつかの疑問の存するところでもあって、これらの供述証拠をもって本件公訴事実を認定するには少なからず躊躇を感じざるを得ない。しかしながら、被告人がデモ隊列を離れ、突如としてガードレールを飛び越えて逃走したことは前記各証拠により認められるところであり、また、被告人も認めて争わないところであるが、被告人の右逃走行為が果していかなる動機、原因に由来するものであるかについて検討を加える必要があると思われる。けだし、もし被告人が大脇に対して公訴事実記載のような暴行を加えた事実がなかったとするならば、何の理由もなく突如として逃走するということは、通常人の常識上合理的には到底考えられないことであって、その意味においては、被告人の逃走行為自体、他に合理的な理由がなければ暴行の事実を認定するうえでの有力な間接事実としての意味をもつと考えられるからである。

ところで、被告人は、逃走した際の状況について当公判廷において次のように供述している。

機動隊が規制に入って来た東京駅八重洲北口付近からは被告人の所属する梯団は、ジグザグデモやだ行進を行わず終始順行車線の左側第一車線を進行して来たが、その間同梯団の先頭部分右側でマイクコールをしていた被告人に対し、白い指揮棒を持った青木隊長は「ハンドマイクをやめろ。やめないと公安条例違反で検挙する。」と言ってハンドマイクの使用自体を禁止する旨の警告を執拗に行い、被告人はこれに対し、「ハンドマイクを使うのがなんで悪いんだ。」などと抗議をしたばかりでなく、わざとスピーカを青木隊長の耳元に近づけてシュプレヒコールを繰り返したため、青木隊長から指揮棒を鼻面に突きつけられて厳しく警告されるに及び、最早やこれ以上マイクコールを継続するにおいては真実検挙されるかも知れないと考え、マイクを用いることをやめ、「マイクをやめろとはどういうことだ。」などと抗議をしながら同隊長から離れ、同梯団の先頭部左側に移動し、更に他のデモ隊員らとともに「デモをさせないつもりか。」「ハンドマイクをやって何故悪い。」などと抗議を続けて約二〇ないし三〇メートル進行した付近で再び「部落」とマイクコールを始めた途端、青木隊長が指揮棒を振って「検挙」と号令をかけたので逮捕されると思って咄嗟にガードレールを飛び越えて逃走した。

右の供述中、東京駅八重洲北口付近から被告人らの梯団がジグザグデモやだ行進を行わず終始順行車線の左側第一車線を進行した来たという部分が、もし、梯団が平隠に左側第一車線を進行していたという趣旨であればそれが事実に反することは前掲証人青木徳雄、同大脇和喜夫らの各証言からも明らかであるばかりでなく、東京駅八重洲北口付近から第七機動隊の隊長自ら規制の陣頭指揮にあたった事実自体からしても窺われるところである。それ故、前記関係証拠を綜合すれば、右青木隊長らは右梯団を左側第一車線内に圧縮規制しようとして梯団の先頭部に位置してマイクコールをしていた被告人に対し、当初は「ジグザグデモをやめなさい。」「マイクであおるのもやめなさい。」などと警告していたが、被告人が右警告を無視し依然としてシュプレヒコールを繰り返しながら小きざみの駆け足をしてジグザグデモを続けようとしたため、右青木は次第に語気を強め「マイクはやめろ。」「やめなければ検挙する。」などと警告したところ、被告人は青木の右警告をハンドマイクの使用自体を禁止する趣旨と解し、「ハンドマイクを使うのが何で悪いんだ。」などと抗議しながらわざと右青木の耳元にスピーカーを近づけてシュプレヒコールを行ったため、遂には右青木から指揮棒を鼻面に突きつけられ、顔色まで変え検挙をも辞さない態度で警告されるに及び、最早これ以上マイクコールを継続するにおいては検挙されるかも知れないと考えてマイクを用いることをやめ、右青木に対して「マイクをやめろとはどういうことだ。」などと抗議しながら同梯団の先頭部左側に移動しその後も他のデモ隊員らとともに「デモをさせないつもりか。」などと抗議を続けて進行したことが認められる。

以上の認定事実からすると、青木隊長は被告人を梯団全体の指揮煽動者とみなし、被告人のマイクコールが違法デモの元凶と考え、デモを平常の行進にさせるにはハンドマイクを用いた被告人のマイクコールを止めさせるほかないものとして警告をしたのに対し、被告人及びデモ隊員らは、意図的か否かはともかくとして、右の警告の趣旨をハンドマイクの使用自体を禁止するものと受けとめてこれに抗議し、遂には検挙をも辞さない態度で厳しく警告されるに及び、被告人は右青木から遠ざかり梯団の先頭部左側付近にその位置を変えたものと認められ、右の経過から考えると、被告人はその場の状況をハンドマイクの使用自体で直ちに青木から検挙される、いわば一触即発の状況にあるものと認識しながら、敢えてハンドマイクを用いて再度「部落」とのシュプレヒコールを始めたところ、青木隊長から即座に「検挙」の号令が発せられたためガードレールを飛び越えて逃走したと認めることもできるところであり、また、以上のように認定したとしても前記認定のような経緯からすると被告人の逃走行為はさして不自然、不合理ということもできない。

なお、証人青木徳雄は右の「検挙」の号令を発した際の状況について、大脇小隊長が腰を後ろに引くような態度を示すと同時に被告人をつかまえようとして手をのばすよりも早く被告人が逃走したので、「あの男を逃がすな。検挙。」と叫んで他の警察官と一緒に被告人を追跡した旨供述しているけれども、同人は、先にも述べたとおり、被告人が大脇を蹴ったことを現認していないにも拘らず、また、その事実を確かめることもなく、間髪を入れずに検挙命令を出したという事実は、右の命令自体被告人の暴行を理由とするものではなく、別個の理由、すなわち、前記のとおり被告人のマイクコールに対して発せられたのではないかとの疑いを強くするところである。

この点について検察官は当時デモの先頭誘導にあたっていた吉田勉が「被告人がガードレールを飛び越えて逃げる直前、被告人がコールを始めたことは記憶にないし、「検挙」という言葉を聞いたこともない。」旨供述している点を捉え、同人が青木隊長に最も近い位置にありながら「検挙」という声を聞いておらず、また、被告人がコールを始めた記憶がないということは、被告人の逃走行為が検挙命令及び機動隊の追跡行為と何ら関係なく行われたことを裏付けるものである旨主張するけれども、前記認定のとおり、機動隊の圧縮規制及び違法デモに対する青木隊長の警告とこれに対する反発、抗議の声が飛び交う喧騒の中で、いかに青木隊長や被告人に近い位置に居たとはいえ、デモ梯団に相対し、腰を曲げ、デモ隊員の腕、肩等を押すなどして先頭誘導していた同人が、同隊長の検挙命令や被告人のマイクコールを聞かなかったとしても必らずしも不自然ということはできないばかりでなく、同人は被告人の逃走後に青木隊長の検挙命令を聞かなかったというのではなく、そもそも同隊長がかかる検挙命令を出したこと自体知らなかったというのであるから、右の供述をもって被告人の逃走行為が検挙命令と関係なしに行われたものとする証拠とはなし得ない。

してみれば、被告人がガードレールを飛び越えて逃走した動機、原因もまた右のように認定する余地のある以上、被告人の供述を単なる弁解として排斥することはできず、右逃走行為自体をもって暴行の事実を認定する間接事実とすることもできない。

五、以上、当裁判所で取調べた各証拠、就中、証人大脇和喜夫をはじめとする前記各警察官らの供述を仔細に検討してきたのであるが、これまで縷々説明したように、その供述にはにわかに措信できない部分も多く、これらの各証拠で被告人を有罪と断定するに足る確信に達することはできず、結局、本件公訴事実はその証明が十分でないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条後段により、主文のとおり判決する次第である。

(裁判長裁判官 石田恒良 裁判官 泉山禎治 裁判官三浦力は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 石田恒良)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例